トイカメラを使いこなしたい

 トイデジをいただきました。使い方がわからないので、YouTubeを見たりしながら使っているのですが、いまいち操作が合わないのは、充電が不十分だからかもしれません。

 私は写真を撮るのが好きです。趣味と言ってもいいかもしれません。なので、うちにはもらったカメラや自分で買ったカメラが何個かあるのですが、トイカメラも一つあり、これは今は珍しいフィルムを使うカメラなのです。ですので、うまく撮影できるか心配で(自分の腕前が)、ほとんど使ったことはありません。

 それから、トイデジも昔買ったものが一つあります。これはなかなかうまく撮れるのですが、あんまり普通のカメラと変わらないような仕上がりになるので、いつの間にか使わなくなりました。

 トイカメラの独特な仕上がりが好きなのですが、なかなか自分ではいい風に撮影できないのです。今は画像加工のフィルターで、トイカメラ風のフィルターもありますから、そちらの方が便利なのかもしれません。

 それでも、トイカメラのデザイン性や、何が映るのかわからないようなところが好きで、ほかにも集めようかななんて考えています。

 前述のいただきもののトイデジですが、撮影したら上の写真のようになりました。どこが映るのかわからないのでなかなか難しかったですが、気楽に面白がってカチカチ撮影しました。

 一番いいのが上の写真だと思います。デジカメやスマホで写したのとは違った味わいがあるんじゃないかなと思います。

白髪染めをやめました

 かれこれ、10か月になるでしょうか。去年の8月に最後の白髪染めをして以来、白髪染めを行っていません。ですので、白髪も10センチ以上伸び、けっこう目立つようになってきました。

 私は年齢の割に白髪が多いのだと思います。思いますというか、多いです。これは否定のしようがないことだなあ、と、自分の頭を見て思います。それで、白髪が増え始めた数年前から、けっこうマメに白髪染めを行ってきました。3週間に1回は染めていたのではないかなと思います。まだ頭の全体が白髪になってきているのではなく、部分的に白髪ポイントがあって、そこを染めるだけだったので、楽といえば楽かもしれませんが、ちょっと面倒だなとも思っていたのでした。

 市販の白髪染めも、クリームタイプや泡タイプ、いろいろ試したように思います。それから、ヘナに凝っていた時期は、ヘナで白髪染めをしていたこともあるのですが、染髪時間が短かったのか、あまり染まってくれませんでした。ヘナを愛用されている方も多くいらっしゃると思いますので、何かコツがあるのかもしれませんね。ただ、ヘナを洗い落として、髪を乾かした時のすっきり感はとても気に入っていました。髪の毛がふんわりボリュームアップするような感じがあったのですね。なので、ヘナはなかなかお気に入りでした。染まらなかったけど。

 それから、コンディショナータイプの白髪染めも試したことがあります。これもまた、染髪時間を指定の時間よりも長くしたけれどあまり染まらず、やっぱり普通の白髪染めがいいのかななんて思っていました。泡タイプもあんまり染まらなくて、どうも私にはクリーム状の白髪染めが使いやすいし合っているようでした。

 そんなかんじで白髪染めと長く付き合ってきたのですが、だんだん、白髪染めをするのが嫌になってきたのですね。それがどうしてなんだろうかと考えたとき、面倒だから、というだけではないようなきがしました。三週間に1回染めていて、4週間放置するとけっこう根元の白さが目立ってきていて、「あーあ、なんで白髪が多いんだろうな」と泣きたくなるような気持になった時も少なからずあります。白髪が治るという情報を検索したり、白髪に良い食べ物を調べたり、どうにかして黒髪にならないかと考えたこともあります。鏡を見ながら、「黒くならないかな」なんて考えたりして。ある日目が覚めたら黒髪になってないかな、と願ったり。

 白髪が嫌で嫌で染めていたのですが、ところがだんだん白髪を染めることが嫌になってきました。一生懸命根元にクリームを塗って、たまに洗面台に液が落ちたりして、それを掃除して。そこまで気にすることなのかな?と、ふと思いました。以前はものすごく気にしていた私が、です。もう白髪はずっと生えるのに、いつまで私は3週間に1回白髪染めをして、白髪を隠すように髪を分けて、「恥ずかしいなあ」なんて思いながら生きていくのかな。そもそも白髪って恥ずかしいのかな。

 ネットを見ると、「女性で白髪染めをしていないのは恥ずかしい」という意見もありました。おしゃれじゃないとか、そういうこともあるようです。反対に、ちょうどグレイヘアという言葉が出始めたころで、白髪染めをやめてグレイヘアに移行した方の記事もいろいろありました。それで、私の場合はグレイヘアではなく白メッシュになるのだろうと思いますが、思い切って白髪染めをやめる決意をしました。

 白髪染めをやめて、まず楽になりました。3週間に1回の白髪染めと出費がなくなって、それは案外私の中で大きかったようで、肩の力が抜けるというか、本当に気持ちが楽になったのでした。そして、白髪が多い自分に対しても開き直りというか、「別にこれが私なんだな」と思うようになりました。白髪があってもいいじゃないか、と。そもそも白髪は迷惑なのか、そんなことないと思う。体質を責められても仕方ないですし、それで「女性は染めたほうがいい」と言われても困るなあ、と。女性はっていうのもなんだか変な感じですし。

 昨今、グレイヘアを「良い」と思う空気があったりすることや、グレイヘアでいる方が増えていたりすることは、本当に嬉しいことです。その方たちの、グレイヘアとの付き合い方が私にも参考になりますし、実のところ身近な家族から、「白髪どうにかしたら?染めないの?」と言われる私には、とても勇気をいただいているのです。まだ白髪が多くなる年齢じゃないんだから、ということで家族も気にしてくれているのかなと思うのですが、もう本人が白髪を大事に育て始めているので、家族も気にしないでくれたらいいなあなんて思います。

 けっこうな白メッシュになってきた私の頭ですが、まだまだ毛先から髪の毛半分くらいは黒いので、あと一年は育てていこうと思います。決意が固いので、白髪染めをすることはもうないでしょう。あとは、外出するときはなるべく白髪の少ない方が見えるように髪を分けているので、そういうことも気にしないで、本当に私が自分の白髪を受け入れて、否定しないようになりたいなと思うのです。白髪が目立つ分け方の方が、もしかしたら自然なのかもしれない、と時々思います。それに、白髪が目立たないような分け方をしても、結果ちょっと目立つくらいに白髪も成長したので、

 白髪を気にしない、まったく気にしない、まで自分の気持ちはあと少し。そうしたら、もっと気楽になるんじゃないかな、なんて思っています。

夏服はTシャツだ【服を固定すること】

 人間の一日にできる選択の数は決まっているらしい。というか、上限があって、個人差もあるんじゃないかということです。基本的に人は一日に9000回の決断をするそうですが、重大な決断をしなければいけない場面でそれが狂わないようにしたいなあと思って、私は服をローテーションのようにするようになりました。これはアップルの故スティーブ・ジョブズさんやフェイスブックのマーク・ザッカーバーグさんがお決まりの服装をしていることと同じだそうです。重大な決断のために、服に費やす決断を減らしている。

 そして、夏がこようとしています。

 比較的、春と秋は着るものが決まっていない…と思いきや、決まっていますねそういえば。あまり悩まずに来ているかもしれません。たいていシャツとかそういったものを着ているような気がします。春と秋はともかくとして、これから来る夏の服装は、実は私は固定です。

 基本的にTシャツとズボン(ローテーション)。Tシャツは、ユニクロのパックTシャツを愛用しています。色も大体決まっていて、黒。これはいつでも趣味の書道をできるように、墨で汚れても目立たない服装を選んだ結果です。ジョブズさんやザッカーバーグさんほど徹底して服装を選ばなくていいように固定してはいませんが、着るものに関してはほとんど悩みません。

 まあ、そもそも、そんなに重大な決断をする立場にもおらず、服くらい選んだり迷ったりしておしゃれをすればいいのかなとも思うのですが、夏はともかく涼しくてすぐ乾いてべたべたしないものがいいので、Tシャツという選択になります。

 …という生活を少なくとも3年はしています。人に会う時くらいはさすがにおしゃれをしているような気もしますが、あんまり変わらないかもしれません。相変わらず夏は黒いTシャツで、冬はというと、すごく寒いときはフリース、寒さが緩んできたらスウェットシャツを着ています。どれもユニクロ商品ですね…。決して私はユニクロの回し者ではないのですが、ユニクロがもともと好きなのと、服にあまりお金をかけないところでそうなるのでしょう。そうそう、冬の服装も固定されていますね。フリースは暖かいなあなんて思いながら来ています。

 こうして服装をなんとなく固定する生活をしているわけですが、何かいいことがあったかというと、そのあたりは「?」です。私が気づいていないだけで、もしかしたら重要な選択をしているときに、きっぱりとした選択ができているということもあるのかもしれません。割と今まではっきりとしていたかもしれないなあとは思います。私としては、その日着る服装に迷う、というのはちょっともやもやした時間で、いろんな場合があるので一概には言えないのですが、誰かに会うため以外、自分がただ着るということに限って言うなら、あんまり悩みたくないのですね。ちょっと、「なんでもいいじゃん」という気分になるものですから。

 ある程度服装を固定することで、朝の身支度をスムーズにできているとは思います。前日の夜はたいてい眠くて選んでいられないので。前日選ぶにしても、固定されていることで、やっぱり迷わずにいられるというのはいいなあと思います。

 単なる面倒くさがりなのかもしれませんが、服の固定はなかなか良いよと思っています。そこの理由をもっと具体的に書けるように、今後自分を観察しようかななんて思いますが、選択肢が減るってことは、ちょっと脳にいいんじゃないかな、と思うのです。私の場合は少し気分が良くなるというか、服を選ぶことで生じるもやっとした感じがないのが、いいんですよね。おしゃれな女性にはあんまりおすすめできませんが、面倒くさがりの方、やってみてはいかかでしょう。と言われるまでもなく、すでに固定されているかもしれませんね。

読書が好き

 私の趣味は読書です。ジャンルに関係なく読んでいますが、その時々で流行りのようなものがありまして、一時期はミステリーばかり読んでいましたが、最近はもっぱら村上春樹さんを読んでいます。ヘルマン・ヘッセブームや小林秀雄ブームがあったりして、そういうブームの時は一人の作家さんの本を集中的に読んでいます。それが今は、村上春樹さん。

 読書のいい点は、小説であれば、登場人物に感情移入することで、自分自身も小説の世界をあたかも体験しているかのような経験を得られることだと思います。現実の世界では体験できないことも、登場人物の視点に代わることで、追体験できる。小説に限らず、映画やドラマでもできるのですが、私は文字を読むことが好きなので、読書を通してそういった経験をしています。

 また、本を読んでいると、頭がクリアになる瞬間があるのです。多分集中した結果だと思うのですが、本の内容にのめりこんで、脳が別のことを考えなくなるというのか。たとえば、外から帰ってきて、頭の中が疲れたりいろんな雑音の残響で嫌な感じになっているときがあるのですが、そういうときにマインドフルネスをしたり読書をしたりすると、気持ちが落ち着いて、雑念や雑音が散り、静かな気持ちで集中することができたりします。私は外出して疲れた時などには、本を読み始めるか、可能ならばマインドフルネスをするようにしています。読書の効果を考えたとき、読解力が付くとか、語彙力が上がる、といったことよりも、この集中することで瞑想状態になる、というのが一番最初に思いつくものでした。

 もちろん、読書のおかげで語彙力は上がるかもしれません。いろんな表現が散りばめられていますし、普段使わない言葉を知ることもできます。読解力も、私の場合ですが、ついたような気がします。本を読んでいると、胸に染み入るような、とても素敵な表現に出会ったりします。そんな時、「わたしもこんな表現ができるような人になりたいな」と思うのです。そして、「こんな文章を書きたい」とも。

 私の本の楽しみ方は、もしかしたら「こんな文章を書きたい」と思いながら読む、という部分が大きいのかもしれません。それは、私が文章を書くことが好きだからだと思うのですが、作家の方々の才能に触れ、自分をブラッシュアップしたいし、憧れるなあと思うことが楽しいからだとも思うのです。普段の自分の表現職に幅や深みが出て、今まで感じた物以上のものが感じられることを期待しているのかもしれません。虹の美しさを、いろいろな風に感じられたら、もっと虹が美しく見えるのではないだろうか?カエルの鳴き声も、もっと違った風に聞こえ、哀愁でもあるのかもしれないと思えるようになるとか。

 読書は、私に新しいものの見方、感じ方を与えてくれます。その新しい世界で、もっと深く深く楽しみ、笑い、泣いて怒りたいのだなと思うのでした。

能楽師になりたくて

 私は10代のころ、能楽師になりかたったのでした。田舎の小さな町に住んでいて、能楽について知っている同世代の友人はいませんでしたし、能楽の公演があるということもありませんでした。江戸時代に滝沢馬琴によって書かれた、南総里見八犬伝という長い長いお話に出てくる、犬坂毛野という登場人物が猿楽師で、その犬坂毛野が好きだった私は、猿楽→能楽という思考に基づいて、能楽が好きになったのでした。狂言もまた好きになり、高速バスに乗って、公演を観に行ったこともありました。なぜか我が家に謡曲集という、能楽のもとになった謡(うたい)を集めた本があったので、それを読んだり、図書館で能楽の本を借りて、「いいなあ」と思う、そんな10代の日々を過ごしていたことがありました。

 どうしてそれほどまでに能楽に憧れたのか、今思い返すとよく分からないのですが、当時は演目の名前…「葵上」や「敦盛」などを暗記していましたし、面(おもて)の種類や名前も暗記していました。能楽の何かが、私の中にある「これが好き」というポイントを刺激したのだと思います。

 もちろんなりたい職業は能楽師。と言っても、能楽師になりたかったり、庭師になりたかったり、医者になりたかったり、いろんなものになりたかったので、たぶん本気で目指そうとしていたわけではなく(実際、今の私は能楽師ではありませんし)、存外しっかりとした憧れを持っていながら、諦めていた、というようなところだったのでしょう。どうやって能楽師になったらいいのか、弟子入りすればいいのか、どうしたら弟子入りできるのか、などなど分からなかったし調べもしませんでした。

 ただ、今でも、能楽と聞くとハッとしますし、公演に行ってみようかなという気持ちにもなります。私の数あるなりたかったけどならなかった(諦めた、という言葉を使うにはもっと受動的なもの。諦める、は能動的な行為のような気がするので)職業の一つが能楽師で、それは憧れという美しい色をまとって、私の記憶の中に棲んでいるのでしょう。いろんな「なりたいもの」や「憧れ」があったことは、自分としては「それもまたいいかな」と思っていて、そのお陰でいろいろなことに興味を持って知ることができましたし、憧れのいい気分を味わうことができました。

能楽の持つ、引力。私はそれに引き付けられて、見事にハマったのでした。数百年も続く伝統の持つ怖さのような引力が、所作、舞、謡、といった能楽を構成するすべてに存在し、10代のころの私に手招きしていたのでした。

 

 

花を植えることは心身に良い効果をもたらすのではないだろうか

 さっき鉢植えを二つほど作ってきました。私は花を育てるのが趣味なので、一昨年くらいまでは、毎年15個くらい鉢植えを作って、玄関などに飾って楽しんでいました。が、それをちょっと控えるようにという話になって、作ってもいいけれど15個も作らないでほしいというようなことになりまして、去年からは細々と楽しんでいました。ということで、久しぶりの鉢植えつくりだったのですが。

 やってみると、気持ちがすっきりするのですね。今日の天気も雨上がりの爽やかな晴天で、鳥の声を聴いたり、虫が飛んでくるのをやりすごしながら土いじりをしていると、なんだか癒されるような気持になるのです。土の匂いも、癒し効果があるのかな?と思うのですが、ちょっと湿りけもある土の匂いは、森の中みたいでいい香りだなと思いました。

 これから大きく育とうとする植物に心の中で「大きくなってね」「頑張ってね」と声をかけながら植えていると、ほのぼのとした気分になり、やっぱり花を植えるって楽しいなと思うのでした。

 心が和やかに、穏やかになるのも良い効果だと思いますが、重たい土の入った袋を運んだり、そこから土を鉢に入れたりする作業は結構大変ですし、しゃがんだり立ったりするので足腰に力が要ります。ちょっとした作業でも案外いい運動になるので、きっと体にもいいのではないかななんて思いました。

 運動することで気持ちがさっぱりしますし、心も元気になるのだろうと思います。花を植えることは、心身に良い効果をもたらすのだと、そう思った朝の時間でした。

簡単な水出しコーヒーの作り方

 私はコーヒーが好きです。紅茶も好きだし中国茶も好きだし、日本茶もハーブティーも好きだし…あとは何だろうか。ルイボス、ハニーブッシュ、マテ茶、いろんな飲み物を好んでいます。それで夏になると、夜のうちに、100円くらいで買った透明なボトルに、ティーバックやコーヒーを入れて水出しをし、翌日飲んで水分補給をしています。それとともに、水や白湯も結構飲むので、水分補給量はかなりのものだと思われるのです。

 そんな私が手軽に作っている水出しコーヒーについて、紹介したいと思います。

 用意するのは容器と、お茶や出汁をとるのに使う、袋型をしたフィルターと(お茶パックとか、そういう名前で売られています)、好きなコーヒーです。あと水。コーヒーは、豆を挽いて粉にして使うのがさすがに美味しいのですが、既製品の粉コーヒーでも美味しいです。

 まず、コーヒーメジャー(1敗10gくらい)でコーヒーの粉を2杯分くらいフィルターに入れます。これは500ml作る時の場合で、1リットルなら4杯分くらいになるのではないかなと思います。フィルター一枚につきコーヒーメジャー1杯くらい入ります。あとはそれを容器に入れて、水を注いで冷蔵庫に入れて一晩おくだけです。作ったコーヒーは一日で飲んでしまうのがいいと思います。雑菌の繁殖とかも気になりますし。

 おすすめのコーヒーも、あるようなないような、で。アイスコーヒーは深入りで酸味が少なく(というかほぼ無い)、コクや苦みがガツンと来るようなコーヒーを使っていることが多いと思いますが、キリマンジャロのような酸味が強く、一般的に深入りにしない豆を使って作った時も、なんだか美味しかったのです。これは私がコーヒー好きで、「これもまた美味し」というようなことを思いがちの性格のせいかなとは思うのですが、無難には深入りの豆や、「アイスコーヒー用」という商品名で売られたものがいいのだろうなと思います。

 私がコーヒーを好きになったのも、夏に飲んだアイスコーヒーがあんまりにも美味しかったからなのですね。自宅で手軽に作りたくて、お茶パックに行きつきました。さすがに、水出し専用の器具で入れた水出しアイスコーヒーには負けるかもしれませんが、けっこう、気に入っています。

憧れ【イングリッシュガーデン】

 私は草花や木を育てるのが好きです。ちょっとしたガーデニングをするのが好きなのですが、(ちょっとした、というのは、本格的なガーデニングは設計図を描いたり、アーチを作ったりしなければいけないと思っているからです)最近、本格的なイングリッシュガーデンを見る機会があって、「ああ、やっぱりいいなあ」と感じたのでした。

 バラを沢山育てたい。バラというのは弱い植物なので、育てるのが大変ということを読んだりしましたが、我が家に少しだけあるバラやミニバラはけっこう旺盛な生命力で、あれよあれよという間に大きくなりました。ということで、我が家の環境がバラ栽培に適しているのではないかと思う次第です。いろいろなバラの花を植えて楽しみたいというのは、子供のころからの私のほんのりとした夢でして、大人になった今、少しは実行できそうな気がするのです。

 ただ困ったことに。私は日本庭園を造りたいという夢も同時に持っているので、山野草やらを露地植えにしていますし、苔を育てたりたまに盆栽を作ったりしています。我が家の庭木も日本風な楓や松ばかりなので、イングリッシュガーデンはもしかしたら似合わないかな、なんて。鉢植えでバラを育てればいいかな、なんて。

 そんな私はビオトープにも憧れがありまして、そこそこ大きな甕で、メダカや水草を育てたい夢があるのです。なので一昨年あたりに蓮の種を取り寄せて、蓮をバケツで育てていたことがあります。蓮の葉は案外大きくなり、あとは越冬だななどと考えていたのですが、ボウフラに泣きました。ボウフラがかなりわいてしまい、家族にも申し訳ないような気がしましたので(蚊が増えますからね)、蓮栽培は断念しました。ビオトープの夢も、なんとなく去ってゆき。

 なりたい職業はいろいろあったものですが、ある時期私は庭師になりたくて。でもでも、今の庭の状況も考えると、憧れのままがきっといいのだろうなと思ったりします。いつか見事なバラの鉢植えをつくりたいな、いつか素敵な盆栽を育てたいな、いつかメダカと水草を小さな水槽で育ててみたいな、それくらいの規模にしたほうが私の夢もまた実現可能になるのでしょう。あんなイングリッシュガーデンを作りたいな、そういう憧れの気持ちが、いろんなところで私の背中を押してくれているような気がします。それは、庭を造りたいという夢に限らず、いろんなところで。憧れの気持ちは、そこかしこで、私が動く原動力になっているのですね。

↓蓮の種をいただいたお寺さんです。花を咲かせられなくて申し訳ありません。またいつか、育てられたら挑戦したいと思います。

寄足山・生蓮寺

新緑は美しく【薫風】 

 薫風。広辞苑によると、【①南風。温和な風。かんばしい風。南薫。②(季語夏)青葉の香りを吹きおくる初夏の風。青嵐。】ということです。何とも爽やかで、素敵な言葉だなあと思います。少し前に人から教えてもらったのですが、この新緑の季節にふさわしい言葉で、外を歩いたり走ったりしているときに感じる清々しい風は、薫風だったのだなあと思うのでした。

 季節は6月。もう初夏というより夏という季節になっているかと思いますが(季語的には)、まだまだ緑は若い色をしているものもあり、雨が止んでいる間は六月も爽やかだなあなんて感じがします。この時期に走っていると、まあ暑くて、喉も乾いたりするので、走るのがしんどかったりするのですが、そんな時に、サーっと爽やかな風が吹いてきて、体を涼しくしてくれると、もうちょっと頑張って走ろうかな、という気分にもなるのです。春の強い風は少し怖く、桜の花を散らせてしまうので、「残念なことだなあ」と思うのですが、だんだんそういった強い風も収まってきて、薫風が吹くようになると、夜には蛙が大合唱をしていたり、路地植えの苺に実がなったり、採らずにおいたタラの芽なんかの山菜が大きくなっていて、着々と季節は夏に向かっているのだなとしみじみ感じたりするのであります。

 もう何回も何回も、そんな四季のサイクルを経験して生きてきたわけですが、毎年毎年、自然の姿の移り変わりに感動し、そこから季節を感じ取っていて、相変わらずのそのありように、安心を覚えたりするのでした。

 なにかそういう確固たる偉大なものの姿を見られるのは、感じて生きていられるのは、とても神聖なものじゃないかなと感じます。

太宰治のこと【桜桃忌が近くて】

 私は太宰治が書いた文章が好きです。確か最初に人間失格を読み、それからなんとなく太宰治の作品を読み漁ったりしたのですが、一時期これまたなんとなく苦手になり、苦手な作家さんだなと思っていた時期がありました。けれど、しばらくたってなんとなく読み返したら、やっぱり好きだなあ、と思った次第です。

 私が一番好きなのは「走れメロス」ですが、「太宰治はすごいな」と感じたのは「駈込み訴え」という、あまりメジャーではない作品でした。「駈込み訴え」の、ぐいぐい読み手を引き込む感じが、なんとも凄まじいもののように思えて、それからは太宰治の文体に気を配って読むようになりました。「走れメロス」の力強さももちろん好きなのですが、私にとっては「駈込み訴え」が一番です。また、「富嶽百景」はふわふわしたような幸福感が漂っていて、この作品もまた何度も読んだ気がします。

 6月19日は太宰治の誕生日にして命日、というか、玉川上水に入水自殺を図ったのが6月13日で、その後下流で発見された日が6月19日ということです。この日を「桜桃忌」というのですね。太宰治は晩年に「桜桃」という作品も書いていて、それによってある作家の方が「桜桃忌」と名付けたのだそうです。

 6月になって、家のカレンダーがサクランボの絵になっていて、「桜桃」と書かれていたのですね。「桜桃、桜桃」と考えているうちに、ああそういえば、太宰治の桜桃忌が6月だったんじゃないかしら、と思い至った次第です。それで調べてみたら、やっぱり6月に桜桃忌があって、それをほんのり思い出すあたり、やっぱり私にとって太宰治はちょっと特別な作家なんだな、と思うのでした。