20㎏痩せた方法②

食事で気を付けたこと

 昨日は、「うまく痩せられない」という思い込みを「簡単に痩せられる」「私にも痩せられる」という思い込みに変えていったということを書きました。

 思い込みで本当に痩せられるのか?

 そんなに簡単じゃないだろう。

 と、いうことは私も最初考えました。

 けれどやっぱり思考は大事だなと思い、思い込みを自分の都合のいいものに変えていったのでした。

 ここからは、食事と運動に気を付けて痩せていったのですが、今日は食事について書いてみようと思います。

 まず、えごま油を毎日小さじ一杯飲むようにしました。

 これは、NHKの番組で、痩せる油として放送していたのを見て、放送翌日にスーパーに行って買ってきて飲み始め、ほぼ毎日の習慣として続けています。

 これだけのおかげかわかりませんが、ある日体重を量ったら、二キロ減っていたのです。

 何もしていない(たぶん)のに。

 それで、えごま油は効くんだな!と思ったのと、えごま油を飲むのに加え、更にダイエットをすればもっと痩せるんじゃないだろうか、と思ったのでした。

 これが、ダイエットをなんとなく始めた経緯でした。

 ですので、二キロの謎の減量がなければ、ダイエットもしていなかったかもしれません。

 なんとなく、ほんとうになんとなく始めたのですが、その気合のなさが自分には良かったかもしれません。

 挫折せず、今もダイエットが続いています。

 痩せるとなったら、食事と運動に気を付ける、ですが、あんまり食事については気を付けたことってないように思います。

 三食食べて、量もあまり変わらず。

 野菜から食べ始めるベジファーストを守ったことと、おやつをあまり食べなくなったことくらいが、食事で変わったことでした。

 私はストレスがたまると、ポテトチップス一袋とか食べてしまっていたので、そりゃ太るっていう感じですが、そういうことを一切やめました。

 ポテチも食べるときは5枚とか、それくらいです。

 正直、甘いものが食べたいときがあったり、ジャンクフードが食べたいときもあるのですが、我慢しています。

 食事に気を使わない分(おやつが少なくなったのは、結構痛かったですが)運動をしよう、というのが私の作戦でした。

 実際は、食事を減らした方がどんどん痩せていくかと思います。

 けれど、リバウンドが怖いなあと、自分の体験から思ったのでした。

 なので筋肉をつけたり運動量を増やそう、と単純に思って、それを実行していったのでした。

20㎏痩せた方法

気持ちをダイエットに持って行く

 今までランニングの記事で、痩せたということを少し書いてきましたが、どれだけ痩せたかということや、方法までは書いていなかったので、これからだんだんと書いていきたいと思います。

 私も今後また太るかもしれないので、その時に振り返ることができるように。

 それと、読んでくださった方にとって少しでも参考になればいいなと思いまして。

 さて。

 20㎏というのは、けっこう重いです。

 痩せてどんな感想があるかと言えば、やっぱり、「軽くなったなあ」ということでしょうか。

 あとは、膝が痛くない。特に、階段を降りるときに膝が痛くない。

 息切れをすぐにしていたのがなくなった。

 足首がたまに変な風に痛くなったのですが、それがなくなった。

 服がゆるい。

 手首や足首の肉が取れた。

 首が細くなった。

 鎖骨が見えてきた。

 頭回りも少し小さくなった。

 こうして書き出してみると、いろんな変化がありましたね…。

 私の体の重みのせいで、家の床がだめになってしまうと思っていたので、そういう心配はしなくてよくなりました。

 ミシミシ言うことが少なくなったので。

 なぜ痩せようかと思ったのかと言えば、床が壊れると思ったからというのもありますし、膝が痛くて、このまま年齢を重ねたら膝がだめになるんじゃないかと心配していたのもありますし、服のサイズがお店になくなってきて悲しかったのもあります。

 ともかく、痩せなくては困るな、と。

 血液検査の結果も「嗚呼」というかんじでしたし。

 お医者さんにも、「少なくともここくらいまでは痩せたほうがいいな」と、ラインを提示していただきましたし。

 しかしですね…。

 それでも私はダイエットしませんでした。

 いつかはやらなければと思いつつ、辛いことはしたくない。と。

 以前15㎏くらい痩せたときは、食事制限を厳しくしすぎて辛かったのです。そしてリバウンドしすぎたのですが。

 その思い出があり、ダイエット=辛い、という思い込みがあったのですね。

 ですので、まず私がやったことは、ダイエット=辛いという思い込みを、ダイエット=楽しいに変えることでした。

 簡単に言うと、ダイエットしたらこんな楽しいことがあるんじゃないか、ということを想像したのです。

 痩せた自分。

 細い服を着ている自分。

 「痩せたね」と言われているところ。

 最初はうまく想像できませんでしたが、だんだんと、イメージできるようになってきました。

 それから、図書館でダイエットの本を借りてきて、ひたすら読みました。

 一番楽しかったのは、100キロ超えくらいの方たちが痩せていくという本で、繰り返し読んでいました。

 辛いダイエットをし、性格も変わって、痩せていく。

 私も頑張ろうかな、という気持ちになりました。

 それで、痩せる=簡単、というイメージもインプットすることにしました。

 私はダイエットは難しい、痩せるのは難しい、というイメージが強くあったのですが、30キロ痩せている人だっているのだから、自分にだってできるはず、という思い込みをしつこいくらいインプットしていたように思います。

 直接、痩せるためのエクササイズなどに移る前に、思い込みのところからアプローチしました。

 それでだんだんと、ダイエットに向けて、自分の気持ちが作られていったのでした。

久しぶりの朝ランニング

ファッションは大事だった

 久しぶりに朝ランニングをしました。

 今日は曇っていて、今にも雨が降り出しそうだったので、「やった、雨が降るかも」と思いながら(サボりたかった気持ちもあるので)準備をし、結局雨は全く降らず、一時間走ることができました。

 昨日ランニング用のトップスを買って来た(この記事です)ので、早速それを着ました。

 いつもなんとなく暑いような格好をしていたので、少しは涼しくなりましたが、もう半袖Tシャツで走ってもいいような気がしました。

 とは言え、吸湿速乾のTシャツは快適でしたが。

 ちなみに、ワークマンで買ってきたのですね。

 私のお気に入りはユニクロで、今でもそれは変わらないのですが(あとGU)、最近ワークマンがいいなと思っていて、思い切って(なかなか入りづらかったので)買い物に行ってみたら、走るのにちょうどいいアイテムがいろいろありました。

 それで、Tシャツを何枚か買ったのですね。

 今日は試しに長袖で走ろうと思って、水色のTシャツにしてみました。

 いつも、紺か黒のものを着て走っているので、明るい色を着るとなんだか恥ずかしいような気持になり(誰も見ていない)、そして、ちょっと嬉しいような気持ちにもなりました。

 そういえば、黒いランニングシューズの時より、カラフルなランニングシューズの時の方がテンションが高くなる私ですが、同じように、Tシャツでもテンションが少し高くなりました。

 なんだか本当に、「走っている人」だなあ、と。

 服の色って気持ちに影響するなあと改めて思いました。

 そして走っていると、さすがに楽でした。

 今までのパーカーで走るのも悪くはないのですが、ちょっと暑かったんですね。もう、薄手のパーカーをTシャツの上に着るのは暑いのです。

 冬のころを少し懐かしく思いました。

 綿100%のTシャツで走っていたこともあるのですが、それしかなかったとはいえあれは失敗でした。

 綿100で走れないことはないのですが、汗をかくと体に張り付く感じがして、走っているときに少し注意散漫になるような気がしました。

 自分はあんまりこだわりがなく、走るのも「痩せられればいいな」というくらいの意識なので、ちょっとTシャツが張り付くくらい、構わないのですが、やっぱりスポーツ用…ランニング用の服装は快適なのでした。

 快適ってことは、走りやすいということでもあり。

 別に要らないかなとも思っていたのですが、買ってよかったです。

 それで、欲が出てきたのですが、もっと速く走れるようになって、大会に出てみたいなー、なんて。

 今朝、蛍光グリーンのトップスにランニングパンツで颯爽と走っていく方を見かけたのですが、かっこいいな!!と思いまして。

 たぶん本気の速さではないのだと思いますが、それでも私からするとけっこうな速さで走っていらっしゃって。

 いいなあ、と思ったのです。

 ランナー体形というか、スラっとしていて。

 大会に出てもいいと自分で思えるくらい、もう少し体を絞って、スピードもつけて。

 いつかはデビューしたいですね、大会に。

 朝ランニングを継続するように頑張ろう、と思いました。

 早く暑い季節が終わって、夕方ランニングもできるようになったらいいな、とも思いました。

 自分がそう思うくらいランニング…運動を好きになっていることが、物凄い驚きです。

ランニングのファッション

 走るとき、どんな格好をすればいいのか、悩むところです。

 痩せたとは言え、まだむちっと感もあるので、憧れの、レギンス&ショートパンツという姿にはなれません。

 いっそ、それにしようかなとも思ったのですが。

 今のところ、ジョガーパンツに長袖パーカという服装で走っています。

 色味が紺やら黒やらなので、もう少し目立つ色にしたいなあと思っていました。

 黒っぽい服装に、青い帽子、サングラスにマスクという出で立ちで走っているので、ちょっと、というか、結構怪しいのです。

 不審者っぽいのです。

 でも近所の方には「頑張るねー!」と声をかけていただいています。

 なので、自分が思うほど変じゃないのかもしれません。

 いや、変か…。

 なので明るい色のウェアを手に入れました。

 これからの季節、走るときの服装をどうしようかと思っていたところだったので、入手できて良かった。

 まだそれらを着て走っていないので、どんな感じか分からないのですが、速乾素材なので期待しています。

 スポーツはファッションも込みで楽しいものだから、派手になりがちですかね。

 私はけっこう派手な靴を好んでいます。

 新しい服を買ったので、頑張って走ろう。

どこで本を読んだらいいのか

喫茶店で読書

 カフェ読書の楽しさを先日書きましたが(この記事です)、今日はカフェとはまた違った魅力を溢れさせている、喫茶店での読書について書こうかと思います。

 喫茶店ですが…

 まず喫茶店の定義が自分の中でどうなっているのか考えてみたところ、

 1、席が少ない

 2、あんまり広くない

 3、飲み物がカップで出てくる

 というようなことが思い浮かびました。

 私が行く喫茶店は、席がだいたい20席くらいで、少し狭い印象がして、自家焙煎にこだわっている、という感じです。

 なので、こういうお店を喫茶店と呼ぶことにして、話を進めていきます。

 実は、一人で喫茶店に入ってコーヒーなりを飲んだりするのは抵抗なくできるのですが、本を読んだり長居をするのが少し苦手だったりします。

 営業妨害なんじゃないかと思って。

 私は居座ると3時間は居るので、あんまりよくないかな~なんて思ったりするのですね。

 ただ、自家焙煎珈琲は美味しいので、喫茶店好きなのですが。

 そして、読書もちょっとはしたいのですが。

 ジャズやクラシックが流れているともっと嬉しくなります。

 私の場合、一番読書がはかどるBGMはクラシック音楽なので、そういうところでは集中して読むことができます。

 喫茶店と言えば個人経営のイメージだったのですが、そういえば名古屋系のチェーン店もカフェと言うより喫茶店と言えるような気がします。

 店内は広いし、席もいっぱいありますが。

 案外落ち着いて本が読めるなあと思ったことがあります。

 喫茶店って、本をたくさん置いたりカップに良いものを使ったり、独自のこだわりみたいなものがあって面白いのですよね。

 カフェもこだわりはあると思いますが、独自色がより濃厚なのは喫茶店じゃないかなと思います。

 そういう、こだわりの空間の中で本を読んで、いい気分になったりしますね。

 それで、帰るときに自家焙煎の豆を思わず買ってしまうのが、私のパターンになっていますが。

 非日常の空間と言えばカフェもまあそうだと思うのですが、カフェってちょっと、生活の延長上にあるような気がします。

 私の場合ですが。

 喫茶店は、非日常、入店すると異空間、は言い過ぎかもしれませんが、自分の生活と切り離されたところにあるような気がします。

 その、異空間に入るっぽさが、喫茶店の魅力のようにも思います。

 そういう異空間で、「そろそろ出た方がいいかな?まだいいかな?」と思いながら本を読むのもまた楽しいものなのです。

 それと喫茶店のメニューは手作りのお菓子があったりしていいですね。

 個人経営のお店だと、店主の手作りケーキがあったり、近所のケーキ屋さんのケーキがあったり、そういう食べ物系も美味しそうなので、とても心が揺れます。

 カフェも食べ物が美味しそうですが、喫茶店はまたちょっと違った感じに思います。

 書いていたら、出かけたくなりました。

 今読んでいる本もクライマックスなので、どこかでゆっくり読書したいなあ。

サクランボの実る頃

シャンソンが好きだった

 数日前、太宰治の桜桃忌のことを考えていて(こちらこちらに記事があります)、サクランボの実る頃、という言葉がふいに思い浮かび、そういえばそんなような歌があったなあと思っていたのでした。

 それで今日になって調べてみたら、シャンソンの歌でした。

 いえ、シャンソンの歌だったよなあ、ということは思っていたのですが、どんな歌だったかは思い出せなかったのですね。

 きっと、以前シャンソンばかり聴いていた時期に、耳にしたのだろうなあと思います。

 あと、家にCDが多分あるのでしょう。

 そして、スタジオジブリの「紅の豚」という作品の中でも歌われているようです。

 これもまた動画を見ましたが、加藤登紀子さんの声がとても似合っていて、いい歌だなあと思いました。

 六月は、サクランボの実る頃なんですね。

 なんとなく、我が家にあるカレンダーの六月の絵がサクランボなので、きっと旬の時期なのだろうなあと思っていました。

 それでずっと頭の中に、サクランボが存在したのかもしれません。

 サクランボ。

 桜桃。

 太宰治。

 桜桃忌。

 サクランボの実る頃…。

 こんなふうに、日常はいろいろなものの連鎖、連続でできているのかもしれません。

 思うこと、考えることも、きっと突然頭の中に降ってくるというよりも、何かの連続で湧き出るものなんじゃないかなあ、なんて思いました。

 これが無意識というものでしょうか。

 無意識に関しては、フロイトが提唱したということですが、無意識の存在自体は科学的には実証できていないので、存在否定派の声もあるとかないとか、そんなことを読んだような気もします。

 いつもながらのうろ覚えですみません。

 ただ、日本でも少し前にとても流行った、アルフレッド・アドラーは、無意識によって人間の行動が決定するという説に否定的だった、とアドラー心理学の本で読んだように思います。

 これまたうろ覚え…

 シャンソンの話でした。

 あの、哀愁漂うメロディが大好きで、よく聴いていたのです。

 今でも好きですが、そういえばあまり聴かなくなりました。

 シャンソンを聴いていた時期は、かなり人生の迷い道にはまり込んでしまい、にっちもさっちもいかなかった頃でした。

 その、にっちもさっちもは、今思えば自分で勝手に作り上げていたような気もしますが、当時はどうしようもないものに思えていました。

 そんな私にとってシャンソンの悲しいメロディーは、切なく心に寄り添って、一緒に迷路を歩いてくれる明かりのようなものでした。

 今でも、明かりになってくれるだろうなと思うけれど、あの頃よりは、迷路も簡単なものに思えるのでした。

桜桃忌

太宰治からの影響(うろ覚えながら)

 今日、6月19日は太宰治の誕生日です。そして、玉川上水に入水自殺した太宰の死体が下流で発見され、引き上げられた日でもあります。

 この、6月19日を「桜桃忌」と言います。

 太宰は「桜桃」という作品が絶筆になりました。この「桜桃」ですが、太宰の家庭を思わせる一家を舞台にした、小品です。太宰って「人間失格」のイメージが強いような気がするのですが(それか「走れメロス」)、「桜桃」のような家族をテーマにした作品がけっこう多いような気がします。

 モデルは太宰の自身とその周辺の人々で。

 主人公は大体アルコール好きでツケでお酒を飲んでいて、家にはいろんな借金があって、妻はいい人で、主人公も妻のことは割と大事にしていて、でも愛人なんかもいたりして…

 それが太宰自身なのでしょうね。

 太宰治と言えば「人間失格」が思い浮かぶくらい、太宰治を知らなくても「人間失格」という作品やその題名は有名ですね。

 不用意に読んだら、絶望の底の底に案内されてしまうので、明るいときに読んだほうがいいのかもしれません。

 私はけっこう精神的に暗いときに読んだので、だだハマりしましたが、気持ちがぐらぐら暗くなりました。

 それでも、この、太宰の私小説は(太宰は小説のモデルに自分が多いので、私小説が多いですが)、心の柔らかいところをえぐってえぐって、人間は醜く、しかしもしかしたら、少しの希望がそこにも灯るのかもしれない、と私に思わせました。

 日本は私小説が多いとされていますが、自分の姿を晒して浮き彫りにして、読者に訴えかける小説家という存在は、なんて強くてもしかしたら弱いんだろうかと思います。

 私は高校生から大学生くらいまで太宰治を好んでいたように思います。

 最近はめっきり読まなくなってしまいましたが、それでも、太宰治が私に与えた影響って大きいのだろうなと思うのです。

 まず、以前のブログにも書きましたが、私は「駈込み訴え」という作品にかなり影響されまして。

 たたみかけるような文章や、言葉の選び方、主人公の心情の表現に圧倒されました。

 こんな文章を書きたいと思わせてくれたのが「駈込み訴え」でした。

 私の太宰のイメージは「人間失格」で、最初に読んだ太宰作品も「人間失格」だったのですが、そのイメージとは全く違う、ある意味生き生きとした太宰がそこにいるような気がしました。

 作家として、水を得た魚のような姿があるように思えたのでした。

 それから太宰作品をよく読むようになって、実のところ、なぜ好きなのか、そうして太宰の文章に惹かれるのか、わからないのですが…

 流れるような文章を書く人だなあ、なんて思います。

 どんな登場人物であれ、どんな状況であれ、すぐに映像が頭に浮かぶような、そんな文章を書く人だと思っています。

 そして、そういうところに大きく影響を受けました。

 もちろん、私の今の文章は、太宰には遠く及ばないものではありますが、目標として、夜空に輝く北極星のように、太宰の文章は存在しているのです。

 ここからは私の勝手な想像ですが。

 太宰は子供がかわいかったんだろうな、と思うのです。

 お酒を飲んでは、いじいじすねすねして、妻のことをちょっと悪くいってみたりもするのですが、基本的には奥さんには感謝していて、子供達には存外愛情あるまなざしを向けていたりして。

 そういう人だったんじゃないかなと思っています。

 無頼派なんて言われていますけど。

 本当に美しい文章を書く人であり(「富嶽百景」のような)、絶望を書く人であり(それもまた美しいのかもしれません)、太宰がもっと長生きしたら、どんな作品を書いてくれたのだろうかと思うと、早い死が惜しまれてなりません。

 一時期私は太宰が苦手になっていました。

 あまりに自分の気持ちに沿いすぎるので、読めなかったのです。

 けれど、その私自身を通り過ぎて、時間もだいぶたった今では、やっぱり太宰は好きな作家で太宰の文章は憧れです。

 桜桃忌に。

 太宰治のご冥福を祈って。

どこで本を読んだらいいのか

カフェで読書

 今日はたまたまカフェに行ってきて、3時間くらい本を読んできました。そこで今日は、カフェ読書のいいところと、お勧めできない点を書いてみたいと思います。

 カフェ読書ってなんとなくですが、集中できるような気がするのです。私は家で気ままに読書することが多いのですが、カフェ読書でしか得られない体験(?)があると思っています。

 まず1つ目が、ほかのお客さんのお喋りです。

 案外これって、心地よくなる瞬間があるような気がします。

 こういう経験ありませんか?テレビのお喋りが耳に入るうちに心地よくなって眠ってしまったこと。先生の話が心地よくて眠ってしまったこと。

 人のお喋り、というか「声」なんでしょうかね?これには催眠効果があるような気がします。

 私もネット関係の勉強をしたくて音声を聞いたりすることもあるのですが、場合によっては眠ります。

 それと、カフェにはいろんなお客さんがいて、お喋りをしたり勉強をしたり本を読んだり仕事をしたり。その、各々が好きなことをやっている感じも、なんとなく好もしいなあなんて思って、カフェ読書が好きだったりもします。

 そして2つ目、お喋りの声とともに心地いいのが、店内で流れるBGMでしょう。邪魔にならない程度の大きさにしている、という話も聞いたことがあります。耳に入ってくるけれど、耳障りじゃない、本を読むのに邪魔にならない音の大きさのような気がします。

 この点はお店によっても変わるかもしれませんし、人によっても感じ方は変わるでしょうが、そんなに気にならないけど、読書の途中で息抜きに音楽を聴くにはちょうど良かった気がします。

 今日行った、私の行きつけのカフェはそうなんですね。

 私は基本的にはあまり外出をしない人間で、外に出るといえば、走るかウォーキングかコンビニに行くか、郵便局に行くか図書館に行くかで、人の多いところにはあんまり出かけることがありません。

 それは苦手だからではなく(苦手なんですが)、単に用がないからで。

 だからたまーにカフェのようなところに出かけると、ちょっと楽しくなりまして、いろんなひとがいるなあなんて思いながら読書するのが、なんとなく好きなのです。

 これ、もしかしたら寂しいからなのかもしれない、と今思いました。

 自覚はないけれど、寂しくて、社会帰属意識をたまのカフェ読書で満たしているのだろうか。

 そうかもしれません。

 ということで、カフェ読書のいいところ3つ目は、社会帰属意識が満たされるというところ。

 では、カフェ読書のいいところ4つ目は、基本的に椅子に座ったままなので集中できる、です。郵便屋さんや宅配屋さんが来ることもなければ、来客もありません。集中力を切らしてフラフラ歩いて行って冷蔵庫を開けたり、自分の部屋に「もっと別の本を読もう」と探しに行くこともありません。

 基本的にやることは読書。たまにスマホを見たり。集中力を切らしてもやることが限定されるので、諦めて読書に戻ります。結果、読み進められます。

 トイレに行ったり、何か飲み物や食べ物を買ってくるくらいしか席を立つ理由もないので、家で読書をするよりも中断なしで本を読むことができるのではないかなと思います。

 今日も途中でちょっと眠くなったのですが、ほかにすることもないので本を読んでいたところ、いつの間にか眠気が覚めて、本に集中していました。

 あと、読書をしていてちょっと飽きたのですが、上巻を読み終わって下巻を読み始めたら、思いのほか面白くて集中して読んでいました。

 そうなのです。飽きたりもするので、カフェに行くときはいつも5冊くらいは持って行くのですが、今日はあまり出番がありませんでした。

 ここでちょっと、注意点というか、私は気を付けていることなのですが、図書館で借りた本は持って行かないことにしています。忘れたら困るから。忘れっぽいタイプではありませんが、そこは個人的に気を付けています。

 このように、4つ、カフェ読書のいいところを考えてみました。集中してその本だけを読める状況を作れる、というのが私にとってのいいところなので、ちょっと読みにくい本だけど読んでしまいたい本など(私にとっては古典文学とかですかね)、カフェに行って読もうかな、という気分になります。

 それで、お勧めできない点ですが。

 無いと言えば無いのですが、あくまで私自身のことを考えると。

 カロリー摂りすぎになる、もしくは、カフェイン摂りすぎになる、です。

 今日はカロリー摂りすぎでした。お昼ご飯もカフェで済まそうと思っていたので、ある程度は予想できたのですが、飲み物もちょっと(いや、ちょっとじゃない)甘いものを二種類も飲んでしまいました。

 そして、「あ、美味しいなこれ」と思いつつ、最初は読書もながら読書というか、飲み物メインの読書になっていました。集中力が、飲み物を味わう方に使われてましたね。

 久しぶりに行ったからということもあるのですが、なんていうかまあ、美味しそうですよね、カフェのメニューって。

 自分では作れないようなものが多い気がするんですよね。サンドイッチ一つとっても、おしゃれだったり工夫されてたり。陳列されていると余計に美味しそうに見えるというか。

 今日はある程度食べる予定でしたが、ちょっと「まあいいか」の気持ちが入ると、飲んだり食べたりしてしまうのですね。

 私は今減量中なので、控えているのですが。

 コーヒーも好きなので、けっこう飲みます。1杯では足りないので2杯は飲むのですが、カフェだけでなく家でもコーヒーや紅茶を飲むので、結果、カフェイン摂りすぎになります。

 カフェイン摂りすぎで眠れない、ということはごくごくたまーにあるくらいなのですが、一応気を付けているところです。

結果的には、カフェメニューも満喫し、読書もはかどったので良かったのですが。ですので、お勧めできない点というより、ちょっと気を付けた方がいい点、ですね。

 私が。

 ということで、カフェ読書は楽しいですよ、というお話でした。

 カフェ読書自体、多分半年ぶり位にしたのですが(以前はもっと頻繁でした)、やっぱりいいものだなあと思って帰宅してきました。

 普段は家で読書をしますが、こうして環境を変えて読むのも楽しいものですね。

 家読書も集中できますが、集中スイッチが早い段階で入るのと、持続時間が長いのは、私はカフェ読書かもしれないなと思いました。

六月のイメージは雨ですが

 六月と言えば、梅雨の時期。雨が降り続くようなイメージがあります。昨日は雨が降っていましたし、その前も天気が悪かった。

 今日は晴れ間が広がって、青空がいつもより澄んで見えるような、いい天気です。保育園児がお散歩をしています。私も朝少しだけ歩いてきました。

 雨上がりの空気はとても気持ちがよく、これまた澄んでいるような気がします。雨が大気中のちりやほこりを洗い流してくれるような、そんな感じ。確か実際にそうだったと思いますが。

 こんな日は、家の中で試験勉強なんかせずに、外を走ったり(それは暑いか)したいものです。せっかく写真がまた面白くなってきたので、写真を撮って歩くのも楽しそうです。

 六月のイメージは雨。ですが、晴れ間は格別に美しいような気がします。きっと、春にも夏にも秋にも冬にも、「晴れ間が美しい」というようなことを私は言いそうですが、六月の晴れ間はいいものだなあと、歩きながらしみじみ思いました。

 雨が降ってじとじとしていて、少し憂鬱な気持ちにもなった後、サーっと晴れた空を見ると、なんだか「ああ良かったなあ」と思うのです。鳥もいつもより嬉しそうに鳴いているような気がします。草木も喜んでいるような気がして、心持胸を張って上へ伸びているような気さえするのです。

 やっぱりこんな日には、家の中にいるのはもったいなくて、出かける計画を立てたくなりますね。

 ほんとにもう、試験勉強なんてしていたくないんですけどね。

 雨の六月も好きです。

 雨の音は落ち着きます。

 それでもこの、すっとするような晴れ間を見ると、ああ、晴れてよかったと思うのでした。

トイカメラを使いこなしたい

 トイデジをいただきました。使い方がわからないので、YouTubeを見たりしながら使っているのですが、いまいち操作が合わないのは、充電が不十分だからかもしれません。

 私は写真を撮るのが好きです。趣味と言ってもいいかもしれません。なので、うちにはもらったカメラや自分で買ったカメラが何個かあるのですが、トイカメラも一つあり、これは今は珍しいフィルムを使うカメラなのです。ですので、うまく撮影できるか心配で(自分の腕前が)、ほとんど使ったことはありません。

 それから、トイデジも昔買ったものが一つあります。これはなかなかうまく撮れるのですが、あんまり普通のカメラと変わらないような仕上がりになるので、いつの間にか使わなくなりました。

 トイカメラの独特な仕上がりが好きなのですが、なかなか自分ではいい風に撮影できないのです。今は画像加工のフィルターで、トイカメラ風のフィルターもありますから、そちらの方が便利なのかもしれません。

 それでも、トイカメラのデザイン性や、何が映るのかわからないようなところが好きで、ほかにも集めようかななんて考えています。

 前述のいただきもののトイデジですが、撮影したら上の写真のようになりました。どこが映るのかわからないのでなかなか難しかったですが、気楽に面白がってカチカチ撮影しました。

 一番いいのが上の写真だと思います。デジカメやスマホで写したのとは違った味わいがあるんじゃないかなと思います。