能楽師になりたくて

 私は10代のころ、能楽師になりかたったのでした。田舎の小さな町に住んでいて、能楽について知っている同世代の友人はいませんでしたし、能楽の公演があるということもありませんでした。江戸時代に滝沢馬琴によって書かれた、南総里見八犬伝という長い長いお話に出てくる、犬坂毛野という登場人物が猿楽師で、その犬坂毛野が好きだった私は、猿楽→能楽という思考に基づいて、能楽が好きになったのでした。狂言もまた好きになり、高速バスに乗って、公演を観に行ったこともありました。なぜか我が家に謡曲集という、能楽のもとになった謡(うたい)を集めた本があったので、それを読んだり、図書館で能楽の本を借りて、「いいなあ」と思う、そんな10代の日々を過ごしていたことがありました。

 どうしてそれほどまでに能楽に憧れたのか、今思い返すとよく分からないのですが、当時は演目の名前…「葵上」や「敦盛」などを暗記していましたし、面(おもて)の種類や名前も暗記していました。能楽の何かが、私の中にある「これが好き」というポイントを刺激したのだと思います。

 もちろんなりたい職業は能楽師。と言っても、能楽師になりたかったり、庭師になりたかったり、医者になりたかったり、いろんなものになりたかったので、たぶん本気で目指そうとしていたわけではなく(実際、今の私は能楽師ではありませんし)、存外しっかりとした憧れを持っていながら、諦めていた、というようなところだったのでしょう。どうやって能楽師になったらいいのか、弟子入りすればいいのか、どうしたら弟子入りできるのか、などなど分からなかったし調べもしませんでした。

 ただ、今でも、能楽と聞くとハッとしますし、公演に行ってみようかなという気持ちにもなります。私の数あるなりたかったけどならなかった(諦めた、という言葉を使うにはもっと受動的なもの。諦める、は能動的な行為のような気がするので)職業の一つが能楽師で、それは憧れという美しい色をまとって、私の記憶の中に棲んでいるのでしょう。いろんな「なりたいもの」や「憧れ」があったことは、自分としては「それもまたいいかな」と思っていて、そのお陰でいろいろなことに興味を持って知ることができましたし、憧れのいい気分を味わうことができました。

能楽の持つ、引力。私はそれに引き付けられて、見事にハマったのでした。数百年も続く伝統の持つ怖さのような引力が、所作、舞、謡、といった能楽を構成するすべてに存在し、10代のころの私に手招きしていたのでした。

 

 

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