桜桃忌

太宰治からの影響(うろ覚えながら)

 今日、6月19日は太宰治の誕生日です。そして、玉川上水に入水自殺した太宰の死体が下流で発見され、引き上げられた日でもあります。

 この、6月19日を「桜桃忌」と言います。

 太宰は「桜桃」という作品が絶筆になりました。この「桜桃」ですが、太宰の家庭を思わせる一家を舞台にした、小品です。太宰って「人間失格」のイメージが強いような気がするのですが(それか「走れメロス」)、「桜桃」のような家族をテーマにした作品がけっこう多いような気がします。

 モデルは太宰の自身とその周辺の人々で。

 主人公は大体アルコール好きでツケでお酒を飲んでいて、家にはいろんな借金があって、妻はいい人で、主人公も妻のことは割と大事にしていて、でも愛人なんかもいたりして…

 それが太宰自身なのでしょうね。

 太宰治と言えば「人間失格」が思い浮かぶくらい、太宰治を知らなくても「人間失格」という作品やその題名は有名ですね。

 不用意に読んだら、絶望の底の底に案内されてしまうので、明るいときに読んだほうがいいのかもしれません。

 私はけっこう精神的に暗いときに読んだので、だだハマりしましたが、気持ちがぐらぐら暗くなりました。

 それでも、この、太宰の私小説は(太宰は小説のモデルに自分が多いので、私小説が多いですが)、心の柔らかいところをえぐってえぐって、人間は醜く、しかしもしかしたら、少しの希望がそこにも灯るのかもしれない、と私に思わせました。

 日本は私小説が多いとされていますが、自分の姿を晒して浮き彫りにして、読者に訴えかける小説家という存在は、なんて強くてもしかしたら弱いんだろうかと思います。

 私は高校生から大学生くらいまで太宰治を好んでいたように思います。

 最近はめっきり読まなくなってしまいましたが、それでも、太宰治が私に与えた影響って大きいのだろうなと思うのです。

 まず、以前のブログにも書きましたが、私は「駈込み訴え」という作品にかなり影響されまして。

 たたみかけるような文章や、言葉の選び方、主人公の心情の表現に圧倒されました。

 こんな文章を書きたいと思わせてくれたのが「駈込み訴え」でした。

 私の太宰のイメージは「人間失格」で、最初に読んだ太宰作品も「人間失格」だったのですが、そのイメージとは全く違う、ある意味生き生きとした太宰がそこにいるような気がしました。

 作家として、水を得た魚のような姿があるように思えたのでした。

 それから太宰作品をよく読むようになって、実のところ、なぜ好きなのか、そうして太宰の文章に惹かれるのか、わからないのですが…

 流れるような文章を書く人だなあ、なんて思います。

 どんな登場人物であれ、どんな状況であれ、すぐに映像が頭に浮かぶような、そんな文章を書く人だと思っています。

 そして、そういうところに大きく影響を受けました。

 もちろん、私の今の文章は、太宰には遠く及ばないものではありますが、目標として、夜空に輝く北極星のように、太宰の文章は存在しているのです。

 ここからは私の勝手な想像ですが。

 太宰は子供がかわいかったんだろうな、と思うのです。

 お酒を飲んでは、いじいじすねすねして、妻のことをちょっと悪くいってみたりもするのですが、基本的には奥さんには感謝していて、子供達には存外愛情あるまなざしを向けていたりして。

 そういう人だったんじゃないかなと思っています。

 無頼派なんて言われていますけど。

 本当に美しい文章を書く人であり(「富嶽百景」のような)、絶望を書く人であり(それもまた美しいのかもしれません)、太宰がもっと長生きしたら、どんな作品を書いてくれたのだろうかと思うと、早い死が惜しまれてなりません。

 一時期私は太宰が苦手になっていました。

 あまりに自分の気持ちに沿いすぎるので、読めなかったのです。

 けれど、その私自身を通り過ぎて、時間もだいぶたった今では、やっぱり太宰は好きな作家で太宰の文章は憧れです。

 桜桃忌に。

 太宰治のご冥福を祈って。

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