サクランボの実る頃

シャンソンが好きだった

 数日前、太宰治の桜桃忌のことを考えていて(こちらこちらに記事があります)、サクランボの実る頃、という言葉がふいに思い浮かび、そういえばそんなような歌があったなあと思っていたのでした。

 それで今日になって調べてみたら、シャンソンの歌でした。

 いえ、シャンソンの歌だったよなあ、ということは思っていたのですが、どんな歌だったかは思い出せなかったのですね。

 きっと、以前シャンソンばかり聴いていた時期に、耳にしたのだろうなあと思います。

 あと、家にCDが多分あるのでしょう。

 そして、スタジオジブリの「紅の豚」という作品の中でも歌われているようです。

 これもまた動画を見ましたが、加藤登紀子さんの声がとても似合っていて、いい歌だなあと思いました。

 六月は、サクランボの実る頃なんですね。

 なんとなく、我が家にあるカレンダーの六月の絵がサクランボなので、きっと旬の時期なのだろうなあと思っていました。

 それでずっと頭の中に、サクランボが存在したのかもしれません。

 サクランボ。

 桜桃。

 太宰治。

 桜桃忌。

 サクランボの実る頃…。

 こんなふうに、日常はいろいろなものの連鎖、連続でできているのかもしれません。

 思うこと、考えることも、きっと突然頭の中に降ってくるというよりも、何かの連続で湧き出るものなんじゃないかなあ、なんて思いました。

 これが無意識というものでしょうか。

 無意識に関しては、フロイトが提唱したということですが、無意識の存在自体は科学的には実証できていないので、存在否定派の声もあるとかないとか、そんなことを読んだような気もします。

 いつもながらのうろ覚えですみません。

 ただ、日本でも少し前にとても流行った、アルフレッド・アドラーは、無意識によって人間の行動が決定するという説に否定的だった、とアドラー心理学の本で読んだように思います。

 これまたうろ覚え…

 シャンソンの話でした。

 あの、哀愁漂うメロディが大好きで、よく聴いていたのです。

 今でも好きですが、そういえばあまり聴かなくなりました。

 シャンソンを聴いていた時期は、かなり人生の迷い道にはまり込んでしまい、にっちもさっちもいかなかった頃でした。

 その、にっちもさっちもは、今思えば自分で勝手に作り上げていたような気もしますが、当時はどうしようもないものに思えていました。

 そんな私にとってシャンソンの悲しいメロディーは、切なく心に寄り添って、一緒に迷路を歩いてくれる明かりのようなものでした。

 今でも、明かりになってくれるだろうなと思うけれど、あの頃よりは、迷路も簡単なものに思えるのでした。

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